インディーウェブ宣言

フィードと後期近代

SNS が登場したとき、それが人々に容易に情報の発信者となることを可能とした点はよく注目されるが、人々の情報の受信形態が変化したことにはあまり注意が向かない。

Facebook の最大の発明はアカウントや短文投稿ではない。それは統一フィードである。そこにはありとあらゆる文脈のありとあらゆる人間関係が混在して、なんらの識別子なく等しく表示される。私たちは相手や内容によってコンテクストを切り替えることをやめた――家族と話すときはリビングに、同僚と話すときは休憩室に、地球の裏側について知りたいときはテレビを、隣町のレストラン情報は雑誌を、そういった慣習は一夜に崩壊し、あらゆる他者のあらゆる発言が単一の無限スクロールフィードに統合されて表示されるようになったのだ。これを文脈崩壊(Context Collapse)という。

それは世界が巨大な単一の舞台と化してしまったことを意味した。フィードには「いいね」数が表示され、それを上下の別の投稿と直ちに比べることができる。その上下の投稿がどれだけ無関係な投稿だとしても、である。このような情報環境は私たちにどのような振る舞いを促しているだろうか。今やSNSなき世界を想像できない私たちは、その問に答えを与えられない。

このような趨勢はインターネットの外を見ても今や戻り得ないように思われる。いや、情報革命のもたらした後期近代において、インターネットとそれ以外の区別にはもう意味はない。無文脈なSNSは世界を均質化し、バズの結節点は一日単位で世界中を舞台に動的に再編され続ける、まさに後期近代の社会経済構造それ自体と同じ様相であり、両者は同じものなのだ。

プラットフォームと自己成就的資本主義

現代のソフトウェア産業について株価収益率や株価純資産倍率といった指標を見ていくと、それがすっかり自己成就的事業になっていることが分かる。トヨタの株価収益率は10程度、つまり時価総額が純利益の10倍である。Google の同じ指標は30程度ある。株価純資産倍率はもっとひどい。トヨタは1を辛うじて上回っているのに対し、Google は年によって10近くもある。つまり、企業活動の価値がその投資や利益ではなく、投資家をいかに説得させられるかにもっぱらかかるようになっているのである。詐欺まがいの暗号資産スキームがここから生じたのは偶然ではない。このようなことは近年のAIバブルで誰の目にも明らかになってしまった。持続性のない安価なAIサービスのあらゆるUI画面への押し付け、神の完成間近を確信したかのような循環的投資、そのような状況でも産業全体が問題なく存在し続けることが明白に証明されてしまった。

コリイ・ドクトロウのメタクソ化理論はソフトウェア、とくにプラットフォーム業のライフサイクルについて鋭い洞察を与えている。プラットフォームとはなんらかの2者をマッチさせる仕組みである。SNSであればそれはユーザーと広告主であろう。そこで、プラットフォームはまずユーザーにいい顔をして、ネットワーク効果によってユーザー間に独占状態を得る。するとユーザーはプラットフォームを離れられなくなるので、今度はユーザーの利益を犠牲にして広告主にいい顔をするようになる。ところが、十分なユーザーがロックインされていれば、広告主もいずれプラットフォームから離れられなくなる。他所にはユーザーがおらず、広告効果を得られないからである。そうなれば最後に、プラットフォームは閉じ込めたユーザーと広告主を質にしていくらでも投資家から投資を引き出すことができるようになる。

最後に残るのは、リターンを求める投資家と株価を求めるプラットフォームの間の微妙な政治で、そのためにユーザー体験に誰も頼んでいない新機能が差し込まれたり、薮から棒に大リストラが起きたりするのである。それはユーザーにも広告主にももはや価値を提供していない、自己成就的な事業である。

近代の終わり

ポストモダニズムのことではない。ポストモダニズムの騒ぎはいささか観念的なことと現実とを混同した人々によって展開された空騒ぎであったように思う。

前節までに述べたような状況に根源的矛盾を見出すのは容易く、周りの友人は「乱の時代」とか「王の時代」とかいった言葉でそれぞれに未来像を表現している。いずれも共通するのは、後期近代がみずからを解体しつつあり、この先に近代よりは中世に近い時代が訪れようとしているのではないかという直感である。

そういった考えがなくても、Twitter 一強が崩れて Bluesky や Fediverse が存在感を増し、ますます多くの人々が Discord の身内サーバーに引きこもっている現実がある。だが、それらもいつまで続くかは保証されているものではない。統一フィードという破壊的機能がある限り、SNSは呪われ続けるだろう。一方で、Discord は今まさにメタクソ化の第三段階へ邁進しているように見える。逆に Nitro が提供するブロートをすべて非表示にする課金プランがあれば私は喜んで金を払うだろう……しかし。

インディーウェブ

「ウェブ」という言葉には、インターネットがまだ明るい未来を含意していた時代の響きがある。プラットフォームやその投資家の機嫌などというものは存在しなかった。プラットフォームのウェブサイトを訪れるたびに、いや訪れていないときでさえも、一挙一投足を監視追跡され続ける心配はなかった。昨日まで使えた機能が突然使えなくなったり、サービスが終了するおそれもなかった。なにを情報として摂取するかを不透明なアルゴリズムに支配されることもなかった。実態としてどこまで楽園的であったかはさておき、そのような懐古的感情と、現代のインターネットを取り巻く現実的な問題との間に、インディーウェブという概念がある。そこには自由があり、データの所有があり、そして文脈を守れるコミュニティがある。

英語圏では GeoCities ならぬ NeoCities が今や150万個近くの個人サイトをホストしている。これはヤフーの一存で消滅し得、実際そうなった GeoCities と異なり、寄付を受けてコミュニティ運営で成り立っている。ウェブサイトのホストに一定の物理的資源が必要である以上、未来の不確実性を完全に取り除くことはできないが、せめてコミュニティの合意によって意思決定がなされることは進歩であろう。

このウェブサイトもそのような流れのうちのひとつである。重要なのは中身を自分で制御できること、しばらく時代遅れにならない程度にモダンであること、軽量であること、可搬性が高いこと。Astro は友人たちに広く使われていることから、困ったときに助けを得やすく、その点でもうれしかった。

私たちは後期近代を自己破滅するに任せる他ないかもしれない。だが、少なくとも私たち(こんなところで他人の長文を最後まで読んでくれているみなさん!)の間では心地良いコミュニティの泡を維持できると私は信じる。同志の方はおかえりなさい。はじめての方は、インディーウェブへようこそ。